ロンと走ろう

ken709

性別
年齢58歳
身長162.0cm

心の中はいつも青春。

今後の予定

自己ベスト

泣くのは嫌だ!笑っちゃおう

避難生活を終え?我が家に帰ってきました。

皆様方には、ご心配をかけたり、励ましの書き込みなど本当にありがとうございました。

すごく勇気ずけさせていただきました。

一人一人にお返事したいのですが、まだちょっと

心にゆとりがもてません。お許しください。

電気は割と早く復旧したのですが、水道が5日前、電話ネットが3日前にやっと復旧しました。

私の住む四ッ倉町(よつくらまち)は、

いわき市の北の位置にあります。そして我が家は、6号国道を挟んで波打ち際から250mくらいの所にあります。

地震のがれきを片づけているとき、堤防を超える波を見て慌てて逃げました。

地震から約2時間後我が家をみたら1m程水没

危険だから入らないよう警察官に言われ、近くの高校での初避難生活?それでも我が家が心配で2度、3度近くまで見に行きました。

携帯も繋がらず、近くに住む娘夫婦と連絡も取れなかったのですが、夜11時頃私達のことが心配で家を見に来た娘と偶然会うことができ、

妻と私、そして87歳になる私の母と3人娘の所に二晩、そして、福島にいる姉夫婦の所に10日程避難してました。

そして私の所は、原発の距離が屋内退避ぎりぎりの32,33K地点に位置します。

私が帰ってきたころは、街の人口は約半分、

友人知人は新潟や東京に避難しています

営業している店、スーパーはいまだありません。

コンビニが一軒8時間程営業してるだけです。

炊き出しや市から配給されるパンなどで

食事しています。

地震、それに伴う津波、原発問題

そして、いつも一緒に走っていた友人の死

(車ごと津波にのまれて)、

苦しいほど悲しい思いもしました。

悲しんで毎日泣いていても何も解決しないし、

友人もそのことを望んでいないだろうと思います。

3月、4月、6月と二人で申し込んだ大会、

多分殆どの大会が中止か延期になると思います。

でももし大会があれば、彼の分まで彼と一緒に走ってる気持ちで走りたいと思っています。

瓦礫と泥砂の街を昨日から走り始めました。

3月6日の大会以来、約1カ月ぶりに走りましたが

足腰はなまっていますが、心まではなまっていないつもりです。

放射線を気にしてびくびく生きるより、

好きなことをして人間らしく生きたい、

泣いてくよくよ生きるより、

笑って走ることのほうがいい。

いまだ家の片付けも終わらず、書き込みも

なかなかできませんが、また時々顔をだしますので、よろしくお願いします。

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