どうにもこうにもワシントン

第1話 人生は爆発だ

僕が8月にホームステイしていたF家は、ワシントン郊外のChevelyという街にある。街と言っても典型的なアメリカンスタイルの住宅街。広い道、その両側には塀の無い家々が建ち並び、その前に手入れの行き届いたきれいな芝生が広がる。子供達は庭の木の枝にひもを通してブランコを作って遊び、リスが街路樹の周りをせわしなく動き回る。映画の中で何度となく見てきた光景をこうして目の当たりにすると、『やっと、アメリカに来たんだな』という実感がが湧いてくる。

「人とすれ違うときには、『Hi!』って声をかけてね。そうじゃないと不審者だと思われるから。でも、DCの市内でやっちゃだめよ。逆に変なおじさんだと思われるわ。」
ホストマザーのMaryにそう言われて以来、この街で人とすれ違う時には必ず『Hi!』と声をかけるようにした。すると、向こうも必ず笑顔で『Hi!』とか『How are you doing?』と返してくれる。そのうち、幾人かの人は、道の反対側からでも『H---i!』と大きく手を振りながら挨拶してくれるようになった。向こうは単なる社交事例のつもりかもしれないけれど、新参者の外国人にとっては、この上無く暖かいもてなしの様に思えて、とてもうれしい。でも、後ろから声をかけられたのはあの時が最初で最後だった。

英語学校を終え、芝生の上に水を元気良くまき散らすスプリンクラーを避けながら、F家に向かう途中、
「Hi!」
と、いきなりすぐ後ろで女の子の声がした。びっくりして振り返ると、高校生ぐらいの女の子がにこにこ笑いながら立っている。『俺?』と自分を指差すと、『うん。』とうなずく。
「私の友達があなたのこと好きなの。」(単万直入!)
彼女の指差す方向を見ると、5メートルぐらい離れた所に、やはり高校生ぐらいの女の子が、恥ずかしそうにうつむきながら上目づかいにこちらを見ている。
「どうして、僕のことを知っているの?」
「プールに来てたでしょ?」

プールというのは、Cheverly Sport Clubのことだ。プールの他にテニスコートやバスケットボールコート、バレーボールコート等がある。プライベートクラブなのだが、会費がとても安いので、運動できない人も会員になって、プールサイドの芝生の上で読書をしたり、ブリッジをしたりしていて、パブリックの様相を呈している。特にMaryが僕を連れていってくれる週末には、街中の人が集まっているかのようなにぎわいだ。この時期、赤ん坊から年寄りまでほとんどすべての人が水着なので、僕のような人類学者にとっては、アメリカ人女性の体形の変化を観察する格好の場となる。高校生ぐらいのころが最も美しい。まるで体操の選手のようにとても均整がとれている。20代になるとそれに色気が加わる。しかし、年配の方は、皆例外無く太っている。それも『変態(メタモルフォーゼ)』とでも呼びたくなるようなすさまじい太り方だ。9月の終わりに、サンデイエゴに行った時、飛行機の隣の座席の御婦人も太っていた。そして、それをとても気にしていて、
「ダイエットしているから。」
と、機内食をほとんど僕にくれた。でも、こちらも食べているのをじっと見られているのはとてもつらい。慰めてあげたいが、『太っていませんよ。』というような見え透いたお世辞は言いたくない。そこで、
アメリカ人にしては、太っていませんよ。」
と言うと、とても喜んでくれて体形談義に花が咲いた。太るのは先天的体質か後天的体質か。僕が先天的体質派に立って、
「僕の両親はやせていて、兄弟も皆やせているので、僕が太らないのはそのせいだと思う。」
と言うと、
「私の両親もやせていたのよ。でもご覧の通り。あなたも今やせているからといって油断しない方がいいわよ。だんだん太るんじゃないの。一年ぐらいで一気に太るんだから。爆発するのよ。いきなり。爆発。私も若い頃はとてもスリムだったのよ。」
という具合。結局その場で結論は出なかったけれども(もっとも、結論を出すつもりなどなかったが)、彼女がオーバーなジェスチャーとともに言った『爆発(explosion)』という言葉が妙に耳に残った。彼女も爆発前はさぞスリムだったのだろう。そう納得できるくらい、Cheverly Sport Clubにいるその年頃の女の子は皆スリムで美しい。

その内の一人が目の前にいて、しかも自分のことを好きだと言う。年は私の半分位にもかかわらず、かわいいというよりは美しいという形容がふさわしい。狼は、ウサギがいきなり目の前に出てきて『私を食べて』と言ったらどうするのだろう。それも、霜降りの特上ウサギである。なぜだか分からないけれども、僕の頭の中には一種の恐怖感が湧き出てきてしまった。未だかつて経験したことの無い事態に、『結婚しているから』という道徳的観念よりも先に動物的な防衛本能が働き出してしまったのだ。こういうのをパニック状態というのだろうか。
「今、急いでいるから。」
そう言って、僕は早足で、立ち去ってしまったのだ。F家にたどり着いた頃には、息も切れんばかりであった。これでは、体が爆発する前に心臓が爆発しそうである。

その後、プールに行く機会は無く、彼女達に会うことも無かった。今思えば、もったいない話だが、今度は道徳的観念の方が働くのかな?