どうにもこうにもワシントン
第3話 僕が戦う時
1月11日、村山首相とClinton大統領とがホワイトハウスで会談し、『北朝鮮の核兵器開発』の防止に協力することで合意した。アメリカのマスコミの反応は大変冷ややかで、4大テレピネットワークでは取り上げられず、新聞でも最終面近くに『実質的な成果無し。』『日米貿易収支不均衡問題から話題をすり替えた。』等と酷評されていた。公費を使ってアメリカまで来て『成果無し』では日本国民も怒るだろうが、僕はこの結果に喜んでいた。この合意は、日本にとって、日米貿易収支不均衡問題に劣らず重要な問題であり、むしろ日本側から持ち出すべき話題であったと思った 1 。
ちょうど5ヶ月前の8月11日、夕食中、ホストフアザーのTomがこんなことを言い出した。
『日本はそのうち大きなトラプルに巻き込まれると思うな。北朝鮮が日本を攻撃するよ。核兵器を切り札にしてね。』
その頃、北朝鮮の核施設査察問題でアメリカ政府と北朝鮮政府との対立が盛んに報じられていたが、僕はこの問題を自分の(あるいは日本の)問題として真剣に考えてはいなかった。
「アメリカ軍の基地をでしょ?」
「違うよ。アメリカ軍は5年以内に撤退するよ。韓国からも、ドイツからも。アメリカは、世界の警察であることに疲れてしまった。そして、アメリカ軍がいなくなったら、北朝鮮は韓国と日本を攻撃するよ、きっと。」
「日本は、アメリカ軍に駐留してもらうために必要なお金は払うよ。」
「問題は金じゃないんだ。みんな、若い命を失うことに耐えられなくなってしまったんだ。どうして、日本や韓国のためにアメリカ人が命を落とさなくちゃいけないんだ。」
「日本だって、自分の国は自分の力で守りたいよ。でも、今の日本国民は戦争に対してとてもsensitiveなんだ。他のアジアの国々も皆、日本の軍事力に対してsensitiveだよ。日本が強大な軍事力を持つことは難しい状況にあるんだ。」
「アメリカだって、アジアの国々が日本の軍事力に対してsensitiveなのは知っているけれど、もうそんなことは言っていられない。日本の軍事力に関係なくアメリカ軍は撤退してしまうよ。アメリカは、日本が強大な軍事力を持って、自分の力で自分を守ることを期待している。そうでないと、北朝鮮が何ををするか分からないからね。」
「戦争をして勝ったところで何も得られやしない。ましてや核兵器を使ったらね。金正日だって戦争をする事のばかばかしさを知っていると思うけどな。」
「それじゃ、北朝鮮は何のために核兵器を開発したんだ?」
「アジアにいるアメリカ軍が恐いからでしょ?」
「違う!朝鮮戦争はどうして起こったのか知らないのか?!北朝鮮には野心があるんだ。アメリカ軍が韓国から撤退した途端に韓国を攻撃した。でも、あの時は間違いだった。アメリカ軍は戻って来たからね。でも今度は分からない。アメリカ軍が戻ってこないと思ったら、奴等もう一度攻撃するよ。自国の政治と経済のためにね。確かに、戦争に勝ったところで北朝鮮の経済が飛躍的に向上するとは思えないけれど、政治的には意味がある場合がある。金正日は先が見えなくてとても恐い。日本は自分で自分を守るべきだ。」
「実質的にそれは不可能だよ。自衛隊には実戦経験が無い。これは短期決戦ではとても大きな問題になると思う。」
「そんな事はないよ。彼らはとてもよく訓練されている。攻撃力だってあると思う。10年位前に、自衛隊所属の医師がアメリカに来て、自衛隊のパラシュート訓練中の怪我についての報告をしたんだ 2 。その内容からの印象では、とても高度な訓練をしていると思ったな。それに、なぜ専守防衛(defensive force)なのにパラシュート訓練が必要なんだ?パラシュート部隊は一般に攻撃用だ。彼らはいつでも攻撃できるように準備しているのさ。典型的なsilent armyだよ。」
「今までのはTomの個人的な意見なの?それともgeneral opinion?」
「general opinionと言っていいと思うよ。」
まず、アメリカ国民が、アメリカ軍人が他国のために命を失うことにうんざりしていることは間違いない 3 。9月末にサンディエゴに行った時の飛行機で、僕の隣にはアメリカ海軍の若い軍人が座っていた。僕と彼との会話から彼が軍人であることを知った近くの御婦人が、降り際に彼に向かって言った。
「命を大切にね。もう未亡人はたくさん。」
ハイチに侵攻するときも世論はおおむね反対であった。それにも拘わらず侵攻したのは、Clinton大統領がハイチでは誰も死なないと踏んだためとハイチがアメリカ本土にとても近いためである。二匹目の湾岸戦争を狙ったわけだが、残念ながら大統領の目論見は外れ、数人の犠牲者が出てしまった。
このような調子であるから、共産主義の脅威の無くなった今、アジアからのアメリカ軍の全面撤退を望む声がアメリカ国内にあるのは当然である。近い将来にそれが実現する可能性も高いだろう。そして、撤退後に北朝鮮が韓国や日本を攻撃した場合、我々がアメリカにとって余程重要な国でないかぎり、紛争の早期解決のために、彼らが派兵する可能性は低いだろう。派兵すれば大量の犠牲者が見込まれるし、韓国・日本の出来事はアメリカにとっては地球の裏側の出来事だからである 4 。
韓国・日本がアメリカにとって重要な国であるかどうかは純粋に経済的指標によるだろう。すなわち、我々の経済が破綻したときにアメリカ経済がどれほど困るかである。残念なことに、アメリカ国内には戦争を喜ぶ産業(兵器産業)もある。また、北朝鮮と韓国・日本との戦争が発生した結果、副次的に業績が向上する産業も多いだろう。例えば、我々からの輸出品がアメリカ市場で高いシェアを占めている産業などがそうである。結局、我々がアメリカの産業に必要不可欠な部品・製品を提供しているか、あるいは、アメリカからの輸入品が我々の市場で高いシェアを占めていない限り、我々はアメリカにとって重要な国たり得ない。そして、前者が不可能であるならば、我々は、自分の国を守るために、アメリカからの輸入をいやでも増やす必要があるのかもしれない 5 。こう考えると、日本市場の非関税障壁問題は、純粋に経済的な問題ではなく、日本の軍事・防衛上重要な問題であるように思われてくる。
それでは、果たして、アメリカ軍がアジアから撤退した場合、北朝鮮は我々を攻撃するであろうか? ソピエト連邦が崩壊し、中国・ベトナムの経済の自由化が進む中、純粋な共産主義である北朝鮮の孤立は深まるばかりである。彼らが本当に核兵器という切り札を手に入れ、戦争に勝てる自信を持った時、Tomの言うように国内外の政治的問題を解決するために対外戦争に乗り出す危険性は十分あるだろう。
そして、戦争が勃発した場合、自衛隊に自国を守りきる能力が有るだろうか。その時は僕も武器を手にしなければならないような気がする。戦場にいる自分、人を殺している自分、あるいは殺される自分・・・。これらを想像すると、経済戦争のために死に物狂いで働いている方が余程ましに思えてくる。
- The Washington Post紙lこよると、アメリカ側から話題にしたようである。
- Tomは医師である。
- 更に付け加えれば、アメリカ軍が他国の国民の命を奪うことにもうんざりしている。
- アメリカでは、アジアに関するニュースはほとんど見られない。
- 最近、アメリカの一部の産業では、日本市場を無視し、日本市場参入に要する労力を他の国の市場獲得に振り替える風潮が生まれている。