ロンと走ろう

今後の予定

自己ベスト

悔しいけど

今回は何が何でもゴールする、出来ると思っていた3週間前までは、

でも先月末の痛風の発作でその際右足親指の痛みと共に出た右足フクロハギの攣り症状でそれが難しいものになってしまった。

早々とエントリーして多分100Kの部にエントリーするであろうライバルさんと同時にゴールすることを夢描いていた。

でもライバルは半月板を痛めて走れない状態になってしまい、その夢はなくなってしまったが、それでも今回はゴール出来ればここ数年の老化にリセットをかけ、また走り続けることが出来るのではないかと思って、

歩いたり走ったりの5時間走歩、コース中もっとも厳しい会津磐梯山ゴールドラインの坂を意識して、坂中心の8時間で51Kの走歩をして、ライバルがゴールするであろう18時前後にはゴール出来るだろうと思っていた。少なくとも制限時間の20時までにはいくら何でもゴール出来ると思い、このレースをウルトラの卒業レースにしようと臨んでいた。

 

右足フクロハギは多分肉離れ?多少走れば後は急ぎ足でも11時間あればゴール出来るからと走れないなら散歩程度とレースまでの2週間殆ど走らなかったし走れなかった。

 

レース2日前にそんな僕を心配して一三君が早朝走りに誘いに来てくれたけど、走る事はやはりできず散歩で回復に努めたが、国道の信号機が変りそうになって渡り切るまで走ってみたら、おっ走れるじゃないか、

内心DNSも考えていたがほんのちょっと希望が見えた気がした。

 

会場に早く行きたくって前日10時に家を出た。

車で何度もコースを走りイメージを作り、道の駅で車中泊をしたが

寝付けず、前回の大会時に車中泊したカメリーナに移動したり、深夜2時にコンビニでおにぎりを買いトイレを済ませたり殆ど眠れなかった。

 

65Kのスタートは9時だがスタート地点に1番乗りの5時着、

1~2時間車で休んでいると地元いわきのラン仲間が来て、一緒に走ろうという事になり、若いみんなについて行けなかったら歩くからねと言って一緒にスタートすることになった、初ウルトラ挑戦の彼らと一緒に走るのは心強いものを感じた。

 

9時スタート、最後尾を皆について行く、ペースも平地なので良いペースで走ってる。今日は楽しもう仲間と一緒にゴールしよう、出来るかもと思っていたまだ走り始めて2キロ手前右足フクロハギに激痛が始まった。仲間から離れ歩いていたら痛さが増してきて最初のエイドまで歩けないと思い、スタート地点にリターン、帰る途中第1回で知り合いになった100K参加の新潟の友人に会ったが、足を痛めたことだけ話すが

なんか惨めな気持ちになった。彼がライバルYさんだったら多分もっと惨めな気持ちを味わっていただろう

 

スタート地点に停めていた車に乗りボラ参加の一三君に帰る旨を伝え急ぎ自宅へ、自宅へ着くとライバルYさんから頑張ってねのラインが届き、惨めさが悔しさになった。

もうウルトラは卒業と思っていたのに、来年もう1度挑戦したくなった。

 

来週は一三君と一緒の花火の里浅川の10Kレースだが、走れないだろうし兎に角肉離れの治療に専念しよう

来年リベンジだ

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