ちょっと 闘病中

今後の予定

自己ベスト

ボストンマラソン

公式記録は4時間4分18秒。

気温は、ボストンマラソン史上最高の30度。思い出に残る大会になりました。詳細は後日。

ゴール後、ボストンのローカル紙にインタビューされました。載るといいな。それから、アメリカでは、ガーミン人口が80%ぐらいいて、Locating SatellitesのTシャツはアメリカ人の受けがとても良いです。

<<< 4/21 追記 >>>

※訂正:「史上最高」と書きましたが、1976年の35度が史上最高気温でした。

※補足:最初210で計測したデータを掲載していましたが、標高差が正確に出る910XTで計測したデータに差し替えました。グラフで左軸のペースを「なし」にすると、坂の感じが良くわかります。

朝ホテルを出るときは「本当に30度になるのかなぁ」と思われるくらい涼しかった気温は、陽が昇るにつれてみるみる上がり、スタートする頃には自然と日陰を求めるほどであった。一緒にスタート地点に向かうkazooさんの額には既に滝のような汗が流れていた。

「kazooさん、汗がすごいですよ」

「ベスパを飲むとこうなるんです」

と答えていらっしゃったが、今思うと、kazooさんはこのとき既に不調だったのかもしれない。

タイム順に細かく区切られたスタート地点に並ぶ。夢にまで見たボストンマラソンのスタート。しかし、Wave2ではピストルが鳴るわけでもなく、そのままダラダラと進んで、いつの間にかスタート地点を横切って、あっさり始まってしまった。イメージしてたのと違うなぁ。

本当は、自己ベストを目指すような走りをしたかった。しかし、気温30度ではどう考えても「ベスト」の走りは難しい。でも、どうしても諦めがつかない。ファンランにはしたくなかった。そこで、最初の5kmはキロ5分で走って、様子を見ることにした。もし、そのまま、あるいは、それ以上のペースで行けそうだったら、行けるところまで頑張ろうと思った。

それにしても暑い。走り出してすぐに汗が噴き出し始めた。空気は乾燥しているらしく、それがどんどん乾いていく。脱水症状が怖い。給水所はマイルごとに道の両側に設置され、ゲータレードと水が潤沢に用意されていた。全ての給水所でゲータレードを摂った。相変わらず、走りながら飲むのが下手だ。半分も口に入らない。

5km通過。平均キロ5分のペースは守ることが出来た。足も心肺もつらくない。だが、とても気持ち悪い。胃がムカムカする。やべぇ、吐きそう。脱水症状を怖がり過ぎて、ゲータレードを摂り過ぎたかなぁ。熱中症かなぁ。もしかしたら完走できないかもしれない。とにかく完走したい。もう自己ベストを目指す走りは諦めよう。目標を「最後まで歩かずに走り切る」に切り替えた。

それ以後は、ゲータレードを飲むと吐きそうな気がしたので、水を摂ることにした。コップ半分飲んで、半分を頭からかぶった。気持ちいい。とにかく体を冷やさなくっちゃ。主催者が用意したシャワートンネルをくぐり、沿道の応援の人や消防署がボランティアで放水をしていればそれを浴びた。日陰を選んで走り、沿道の応援の人が氷を配っていれば、それをもらって頬張ったり、首に当てたりした。それでも、吐き気はなかなか収まらなかった。本当は、10km地点と20km地点でパワーバージェルを摂ることにしていたが、摂ると吐いて走れなくなりそうだったので、摂らないことにした。すると、15kmあたりで、今度は足がつりそうになってきた。ふくらはぎや腿がピクピクする。こんなところで足がつったら、「走り切る」ことはできない。北海道マラソンの再来だ。気持ち悪くなることを覚悟で、給水所ではゲータレードを摂るようにした。足がつったら走り切るのは難しいが、多少吐いても走り切ることはできるだろう。この判断が良かったのか、次第に足がつりそうな気配は治まっていった。30km手前では尿意を催しトイレに寄った。よし、脱水症状にはなっていないようだ。

いよいよ、最大の難所、4連続の坂。その4番目が心臓破りの坂だ。吐くのが怖くてエネルギー補給を全くしてこなかったので、足がかなりヘロヘロになっていた。でも、坂は絶対に歩きたくない。吐くことを覚悟で小さいベスパを摂った。シャワートンネルをくぐって体を冷やして、第1の坂に突入。今、思えば、この坂が一番辛かった。不覚にも小さい第2の坂に気が付かず、心臓破りの坂を第3の坂と勘違いして登り、登りきったところで「心臓破りの坂の頂上」というサインを見て「えっ、今のが心臓破りの坂だったの?」と感じたほどである。

なんか拍子抜けだが、とにかく難所は超えた。相変わらず吐きそうだが、完走が見えてきた。この安心感からか、その後のダウンヒルは気持ちよくスピードを上げた。これがいけなかった。坂を下りきったところで、足が動かなくなってきてしまった。平坦なのに、心臓破りの坂よりも辛い。沿道の応援は最初から途切れることが無かったが、市街に近づくにつれて、あふれるような歓声になってきた。かっこ悪い走りはしたくない。大歓声の中を、ほとんど見栄の力で走り続けた。

40km地点。満を持してカーボショッツを摂った。ここで吐いてもあと2kmなら走れる。よほど体が欲していたのか、みるみるパワーがみなぎってきた。吐き気も無い。なんだよ、もっと早くとりゃ良かった。どんどんペースが上がる。どんどん前を抜かしていける。最後の1kmは大観衆の前をかっこよく走り抜けることができた。そして、笑顔でポーズを決めてゴール。I made it!

最高に過酷だったけど、その分最高の満足感があった。Good Job 俺!

待ち合わせ場所で、きょんこに会った。kazooさんともここで会うことになっていたが、いない。私はkazooさんを12km地点で抜かしていた。kazooさんは歩いていた。声をかけると「気持ち悪くて走れない」と言っていた。あのあと、あのまま歩いているのだろうか? それともまた走り出しただろうか? あるいは、リタイアしたのだろうか? 状況が分からないので、パソコンが使えるホテルに戻ることにした。ホテルに戻って、BAAのサイトで通過時間をチェックするとハーフは過ぎていることが分かった。12km地点から残り30kmをキロ10分平均で歩くと5時間。抜かしたのがちょうど1時間経過した頃だったので、あのあとすべて歩いたとしたら6時間でゴールすることになる。シャワーを浴びてまた経過時間をチェックすると、ちょうど6時間ぐらいでゴールタイムが現れた。「やった、kazooさん、無事ゴールしたよ。全部歩いたんだ。」きょんこと二人でkazooさんの無事を喜んだのだが、、、その後、kazooさんと連絡が取れない。連絡まめなkazooさんだけに余計不安が募る。後ろ髪を引かれる思いで、携帯電話を握りしめ、レース後のパーティの会場に向かおうとホテルの部屋を出た。シェラトンホテルは、1階と2階のどちらでも外に出ることが出来る。エレベーターに乗ると、既に先客が1階のボタンを押していた。だが、何となく、2階のボタンを押した。きょんこが「なんで2階を押したの?」と聞く。「いや、何となく」 まさに虫の知らせである。そのまま何となく2階で降りると前方にkazooさんがゾンビのように歩いてくるではないか。声をかけると、初めは「大丈夫」と言っていたが、その場で倒れ込み、両足がけいれんし始めた。そして、何度か吐いた。けいれんをおさめるためには水分やミネラルが必要だが、口から摂れない以上、点滴を受けるしかない。早く病院に連れて行かなくっちゃ。ここでいろんな人(ほとんど皆ボストンマラソン出場者やその家族)が助けてくれた。疲れているだろうに、本当にありがたい。ある人は、ホテルの係員を呼びに走り、たまたま通りかかったドクターは診断をして、症状を適切にホテルの人や救急隊員に伝えてくれた。私もきょんこも医療関係の英単語を知らないので、本当に助かった。救急車に乗って行った病院のERは同じような症状のランナーで溢れかえっていた。kazooさんは点滴を受けるとだいぶ回復し、早く帰りたがったが、腎臓の数値が悪く、その数値が正常にもどるまで点滴をし続ける必要があったため、入院することになった。私たちは、翌日ヴァージニアに友人に会いに行くことになっていたため、後ろ髪をひかれる思いで病院を後にした。こうして、長い長いボストンマラソンの1日が終わった。

最後に、ボストンマラソンで記録を狙いたい人へのアドバイスを一つ。下り坂を速く走る練習を。心臓破りの坂ばかりが取り上げられるが、全体的には下り基調。実際、翌日は、前腿が筋肉痛。家内のきょんこは爪をやられていた。

コメント

kazooさんのことを皆さん心配されていらっしゃると思いますので、この場で、ご本人の許可を得て報告致します。脱水症状のため、「元気に」入院中です。明日には退院できる見通しです。

kazooさんのことを皆さん心配されていらっしゃると思いますので、この場で、ご本人の許可を得て報告致します。脱水症状のため、「元気に」入院中です。明日には退院できる見通しです。