あれから5年
2011年3月11日(金)あれから5年の月日が過ぎた。
あの日私は家で、明日の仕事の準備をしていた。
ちょうど今の時間、14時46分頃強い揺れが襲ってきた。
棚からは色々なものが落ちて来て、揺れはいつまでも続いていた。
長かった恐怖の時間が過ぎ、外に出てみると、家のブロック塀が、
隣接の道路に倒れていた。
テレビをつけてみると、津波警報がでていて、津波の予想高さは、
50cm(地震で心の落ち着きがない、私の勘違いかもしれないけどその時は、50cmとテレビに表示されていた。皆は5mだと言っていたが)
倒れたブロック塀を片付けていて、何か雰囲気を感じ海の方を見たら、
堤防に激しく寄せる波が見えた。波打ち際から堤防までは100m以上離れていて、堤防まで波が来たのを見たことがなかったので、慌てて妻と母と近くの距離にして150m程離れた高台(神社)まで、急ぎ避難した。
神社につき5分もしないうちに、波が街中まで襲ってきた。
神社の鳥居まで(鳥居は地震で倒れていたが)津波は達していた。
完全に海となってしまった街中を車が何台も流されていく、ただそれを
呆然とみて、降って来た雪の寒さもありガタガタ震えていた。
その後トラックの荷台に乗り近くの高校体育館へ、近くに住む娘夫婦と連絡を取りたいが携帯も高校に設置されてる電話も繋がらず、何度も試している中に、携帯の充電切れ、家に戻り充電器を持ってこようと、家に戻るが(夜7時、9時、11時)家は1m近く水没していて、近寄れない状態、11時に最後に見に行ったとき、隣町に住む娘と遭遇、
11日、12日は娘婿夫婦の家に世話になり、ニュースで原発の危険性を感じ、姉夫婦が住む福島市松川へ避難(1週間世話になる)
少し落ち着き、ラン友のKさんに連絡を取るが携帯繋がらず、14日
Kさん携帯から逆に連絡、「あ~~~よかった!Kさん大丈夫だったんだ」と話すと声の主はKさんでなく、Kさんの同僚の人(よく二人で我が家に来ていたので)
「kenさん、実は今しがたKさんの遺体を確認してきました」
(だってこの電話、携帯はKさんがいつも持ってるやつじゃ)
「バックの中に入っていた携帯電話は大丈夫だったので、電話帳に載ってる人に連絡をしてるんです。」
仕事でたまたま行った薄磯海岸で津波に遭い、車ごと流されたみたいだ。
Kさんと冗談で「いわきでフルマラソンがあるみたいだね、還暦前の記念に2人で走ってみようか?」と言わなかったら、今走っていただろうか?
2,3日前からの腰痛で例年の追悼ランはできなかったけど、
「Kさん、俺Kさんの分まで走るからね、いつも傍にいて見守っていてね」