travel-db for Sportsのランブロの2022年11月22日のタイムライン

やすまる

午後ラン

午後から時間ができたので、のんびり長めのランに出てみた。

信号待ちに捕まりながら相模原の往復。

涼しくて走りやすい。。

のびえ

明日も雨なので

明日は寒いうえに雨が降るらしい。

週末もあんまり走る時間がないとなると今日は帰宅ランでしょう!と走り出したら途中からポツリと雨が。

 

幸い気温高めなので予定通りに走り切りましたが最後の2kmは結構降ってたかも。びしょ濡れにはならなかったし、走った後で身体はぽかぽか。

この後冷やさないように気をつけて帰ろう。

citroen

夕方12キロ。

レース以来のマジックスピードを履いてランへ。

ウォームアップから感じがよく、体感よりキロ15秒くらい速い。

15時半過ぎにスタートしたが、曇りでもありあっという間に暗くなった。

後半はキロ5を少し切るペースで走れ、やはりマジックスピードだと楽にスピードが出せる。

今日はいい感じで12キロをこなせた。

のぶたん

BU走

走り出しはハムが筋肉痛。

次第に良くなったので、最後500mだけキロ5半に上げてみた。

はまちゃん

ドリルワークアウト

5km 29分(5:48/kmペース)のための、ドリルワークアウト
アップ10分、ケイデンスドリル5本、加速グライダー5本、ダウン10分 シューズはライバルフライ3(14.4℃、霧、湿度が高い)
 
昨日走ったせいか走りやすくて、すべてのワークアウトを最大心拍数153bpmでこなせました。十分適応しているようです。
アップは7:06/kmで体が良く動いて、ケイデンスも5:00/km、5:15/km、5:14/km、5:17/km、5:20/kmと良く動いてます。
ダウンも負担なく7:09/kmで、ようやく走れる体になってきました。
1/22のレース後、3/25もレース予約しました。

ken709

日の出6時20分

気分が滅入ってる。福島市で高齢者による交通事故があったから、被害に遭った家族の悲しみを思うと心が痛む。

そして事故を起こしてしまった高齢者の事を考えると明日は我が身の心持になりこれまたとても悲しい気持ちになる。

ランニングを始めたことで同年配者からみれば若く思われているが、私自身はここ2,3年で急に老いを感じている。

それはなにもランニングに関してだけでなく、夜間の頻尿、睡眠の浅さ、数えれば50歳代で感じていなかった身体の不調はいくらでもある。

 

今朝の出来事でも、

今朝は坂道を走りたくなく海岸砂浜コースをゆっくり走りたいと出かけて行った。

夜明け前の真っ暗な街中をヘッドライトで2キロ程走ってるとトイレに行きたくなる。起きてすぐ済ませているのに、1時間もしないうちにしたくなる。これはレース時にあるしいつもの事だから諦めている。

トイレを済まし砂浜にでて走るも前日の雨で緩くなった砂浜を走るのは舗装された道路を走るより負荷がかかり辛い。

そんな辛い気持ちを明るくさせてくれるのが夜明け、日の出だ!

6時2分水平線に視線を移すと小さなオレンジ色の太陽が見えた。

ランシュに付いた砂を落としていて2~3分後に再びその方向を観たら

あれ~~雲に隠れてしまったのか?太陽が消えていた!不思議だ

走りながらその訳を考えて、雲がないように見えるが実際は遠くに雲がありその中に太陽が入り見えなくなった?と考えていた。

それならば夕焼けの様に朝焼けが見えるはず。

可笑しいな?気にしながらその方向を見ながら堤防を走っていたら

ほぼ同じ方向の所が明るくなってきた。あれ~~~

6時20分水平線から太陽が再び?それもさっきとは比べようもなく明るい太陽が出てきた。

太陽が2つある!そんな馬鹿な~、1回目の日の出だと思ったのは、

実は月の出?だったのか?

6時02分に見えたものは何だったんだろう?

目にも老化が進んできている。

よしだpipio

ジョグ+P+WS=10キロ

週末は人間ドックなどがあったため大して走らず、月曜も休んだため、休足十分。

脚が元気だったので、今日は久しぶりに最後に100mくらいの流しを2本入れてみた。

しかしこの程度の負荷でリカバリータイムが43時間にもなってしまうのは、どういうことだよ、ガーミン君。

さて、ぼちぼち少しずつ負荷の強いこともやり始めようかな。

湘南オヤジ

アクテイブレスト

アクテイブレスト。

右膝は深く屈伸させるとまだ痛むが

スロージョグは大丈夫そう

著名な筋肉痛はなく食思は良好

湘南オヤジ

FTR100

11月19〜20日、埼玉県の秩父、奥武蔵を舞台とした第8回Fun Trails100に参加。この大会、いつかは参加したいと思っていたが、現在休止中の大田原マラソンと重なっていたこともあり、過去には2017年のボランテイア(この時は参加者の滑落事故死により途中で打ち切り)2018年の逆走応援という形で関わらせてもらった経緯がある。今年は上州武尊がまたしても中止になってしまったため、その浮いた参加費をFunTrailsに充当。試走開始時期は大幅に遅れ10月30日のおごせ・ときがわの50kmレースを皮切りに11月8・12日の現地試走でなんとかコースの7割以上はカバー。
レース前日は会場近くで用意してくれた駐車場で車中泊。冬用のシュラフにくるまって早めに就寝。レース当日の朝は車のフロントガラスの一部が凍結するほどの寒さ。20日は雨予報だが7時のスタート時は素晴らしい秋晴れ。ところが右膝の外則に鈍痛が、数週間前から強度の高い練習後に感じていたのだが。さらに大腿部の筋肉疲労が強く登りがとてもきつい。そんなこともあり最高の天気だったにも関わらずテンションダウン。とにかく痛みが増悪しないよう特に下りは慎重に足を運ぶ。正丸峠〜子の権現〜名栗を経て核心部の滝の平尾根〜黒山〜小沢峠をたどる頃には夜間パートへ。試走でコースは掌握していた後とはいえ真っ暗の中の厳しいアップダウンはメンタル的にもきつい。中間地点のゆのたのエイドには18時15分に到着。右膝の状態は相変わらず厳しい。ただここでしっかり補給できたこともあり息を吹き返す。子の権現に戻ってきたのが21時40分。肉うどんとコーンポタージュのなんという美味さ!しかしこの先の飯能アルプスの厳しいアップダウンに心がぼきぼきに折られ、予定よりかなり遅れ1時30分に70km地点の東吾野の長念寺に到着。動かないでいると身震いするような寒さであったが、そんな中半袖姿で平然としている若いランナーもたくさん。ここらは高山不動までのアップダウンを交えた長いトレイル。仮眠テントを横目で見ながら2時にスタート。睡魔によりまっすぐに歩けないこと多々あったが、補給をしながらなんとか持ち堪える。ただ、時折軽い腹痛と吐き気。しかし幻覚を見ることは今回はなく仮眠はせずに高山不動の少し前で夜が明けてくる。6時37分に83km(実際は88km?)の高山不動尊に到着。すでに累積標高は6000mを超えている。この後も小刻みなアップダウンは連続。雨予報であったが本降りになることなく最終エイドの県民の森ですいとんを頂き9時37分にスタート。しかし秩父までの急降下で右膝の痛みが再燃、下りのロードでも走れなくなってしまう。さらにお腹の調子も悪くなり公衆トイレに駆け込んだりと。ゴールに近づいても長いロードをたどりながら、最後のトレイルのアップダウンにも辟易してしまう(奥宮さんごめんなさい)この辺りで今回ボランテイアで参加していたビリちゃんがサプライズ登場。最後の1kmは後ろからケツをたたかれ全力走。無事奥宮さんの待つゴールに傾れ込む。タイムは29時間11分。休憩を除いたタイムでは26時間37分。総距離は105kmとなっている(休憩抜きタイムは26時間37分)ガーミンの計測では110km。累積標高は7030m!100マイルのUT MFとほぼ同等。23km〜93kmの核心部は殆どがトレイルの激しいアップダウンの連続。制限時間、関門時間ともに比較的余裕を持って設定されているのに、今回の完走率は70%。上州武尊やUTMFとはコースレイアウトは全く異なるが日本屈指のハードなレースであることには間違い無いと今回確信した。来年は果たしてエントリーする勇気は残されているだろうか?でも70歳の方が今回も参加していて完走。その表彰式を目の当たりにしてしまった・・・。
忘備録として。今回は気持ち悪くなることを危惧して行動食はジェル系のものは殆ど摂取せず、ANDOを主体にブラックサンダーのきなこ、柿の種バージョンをメインに。エイドでは豚汁、すいとん、コーンポタージュ、肉うどんなどの温かい食事を提供してくださったおかげでハンガーノックに襲われることはなかった。最後まで食欲が落ちることはなかった。
ライトはNEO09Rをウェストに巻きヘッドライトはMH5を併用。前者は200ルーメンのMIDを使用し続けたが明るさも十分な上12時間経ってもその明るさをキープ。後者は単三電池1本ということもあり照射時間は短いがLOWと使い分けていきながら朝まで乾電池3本でなんとか持ってくれた。
仮眠できるエイドは3箇所あったが、今回は仮眠は取らず進む。眠くなる前にサプリのカフェインを摂取できたことが良かったのかも。軽い睡魔でまっすぐ歩けなくなることは多々あったが。
現在、右膝の状況は深く膝を曲げると強い痛みは残存するが、スロージョグでは痛みは生じないので軽くアクティブレストは可能。
10月30日からの3週間で本番や山練で250km。累積標高15500m。泥縄式練習で膝を酷使してしまった結果かもしれない。年齢を考えると今後無理はできないことを改めて実感。
5年前にボランティアで参加した際は事故により途中でレースは打ち切り。今回駐車場となっていたところが会場となっていたが、続々と戻ってきた選手の方達は不平を訴えることもなく、ボランティアに労いの言葉をかけてくれる方も多くいた。ただ、事故後の対応で奥宮さんがいかに苦悩を抱えながら大会運営を維持してきたか。終了後帰宅してから当時の雑誌の記事を読み直し、このような素晴らしい大会に参加させていただけることのありがたみを強く実感した。