kazooのrun note(ちょっと休憩中)

kazoo

性別
年齢48歳
身長173.5cm

2008年2月から娘に触発されて本格的に走り始めました。

モットーは「楽しく走る!そして絶対に足を止めない」
「自分自身の体と対話しながら走る事」です。

趣味はドライブ、旅行、サッカー、そしてランニング。
あとは美味しいお酒と美味しい料理があれば幸せです。

まだ、サブスリーは遠いですが、いつか狙ってみたい一生の目標です。

SWAC、TR2EC所属。

今後の予定

自己ベスト

ちょっと泣ける話!

「心のタスキをつないで」

佐藤敦之選手がHPで早稲田の後輩、または頑張っている人に、自分の想いを伝えることでエールにしたい、、、と、執筆したエピソードの一部抜粋です。

swacのメンバーさんから教えて戴いたのですが、あまりに良い話でしたので、ごく一部ですが、ご紹介させて下さい。

佐藤、O角が4年の時の最後の箱根で佐藤選手がオーバートレーニング症候群で欠場した時のシーンです。

「心のタスキをつないで」より

「走れない・・頑張れない・・・頑張りたいけど・・何をやっても・・変わらない・・」考えれば、考えるほど、落ち込んでいった・・いろんなプレッシャーに 押しつぶされそうになった・・。ものすごく・・エースとしてキャプテンとしての責任を痛感した・・。そして、一人の親友・・いや、パートナーと言った方が よかろうか・・。親友に申し訳ないという気持ちが募っていった・・。その親友とは私の学年で、主務(マネージャー)を務めながら最後の箱根の6区を大角重 人(おおすみ しげと)だ。

大角は一般で早稲田の理工学部に入った・・・。高校時代は滋賀県水口東高校で全国高校駅伝に出場し大角が高校2年生のとき9位という成績を収めてい る・・。私の学年は推薦で入ったのが私ひとりだけだったので、駅伝経験者としてものすごく頼れる存在であった・・。走っても力がある・・。しかし大学2年 のとき、大角が主務に任命された・・。主務とは競走部全体の事務的な仕事を管理し、部の司令塔的な仕事をしていなければならない・・。そのため、本来なら ば・・主務は競技を断念し、チームのために任務を遂行しなければならなかった・・・。そのくらい主務の仕事には責任があり、激務なのだ・・。学年ひとり2 年のときに選出しなければならない・・。主務になると競技を断念しなければならないので、それだったらと・・部を去っていく者も多かった・・。主務選出に かなりの議論を費やしたことを今でも鮮明に憶えている・・。私は大角を主務として選出した・・。チームをまとめるにはこの人間しかいないとおもったから だ・・。「情熱がある・・周りをよくみることがでる・・そしてなにより駅伝を知っている・・」だから選出した・・。ただし私は大角にこう言った・・。「決 して箱根を大角が走るという夢をあきらめないでくれ・・。俺らの学年が一致団結して、やっていけば必ず主務をしながらも選手として走ることができるは ず・・。最終学年になって、俺がキャプテンになって引っ張っていくときにどうしても大角のような意識の高い人間が必要だ。パートナーとして・・。大角がき ついのは分かっている・・。主務が選手として走ることがタブーだということはよく分かっている・・。でも大角と一緒に新しい道を切り拓いていきたいん だ・・。やらずしてダメだと諦めたくない新たな伝統の一ページを共に刻みたいんだ・・。ワセダ記録の掲示板に俺はマラソンで名を刻む・・。大角は[走る主 務]で名を刻む・・。やってやろうぜ・・。未知なるものへの挑戦を・・。」

そう誓っていたのだ・・。社会人になっても大角とは連絡をとっている。話し始めるといつのまにかお互い将来のことを語ってしまう・・。そんな仲だ・・。現在大角はスターツ陸上部でマネージャーとして新たな人生を歩んでいる・・。

お互い誓ったはずなのに・・私が裏切ってしまった・・箱根直前・・走ることができずなにもできないでいた私は何度もそう思った・・。

申し訳ない・・大角の負担がますます大きくなってしまう・・・。せめて・・。せめて・・大角の夢だけはかなえて欲しい・・。

こころからそう願った・・。大角は理工学部であったので・・勉強のほうも多忙であった・・。一,二年のころは実験が忙しくて、練習も土、日しか顔をだすこ とができなかった・・。空き時間をみつけての練習・・。レポートに追われて徹夜でレポートを仕上げる日もあったそうだ・・。「陸上、主務、勉強」、「にそ くのわらじ」どころか、「さんそくのわらじ」をはきこなして生きている大角をわたしは心から尊敬していた・・。それに比べて・・・。「俺は・・一足も満足 に履くことができない・・。」

「情けない・・これでよく世界を目指すなんて周りに言っているよ・・。情けない・・」

自分で自分のことを責め続けた・・・。

ほんとうにさいごはキャプテンとしてエースとして何もできなかった・・・。迷惑だけをかけ続けた・・。チームに・・。大角に・・。

最後の箱根は付き添いとしてチームを見守った・・。何もできない、何もしてあげることできない自分・・。情けなくて・・。情けなくて・・。悔しくて涙を ぐっとこらえて・・見守っているしかなかった・・。人生で一番長い一日だった・・。一睡もできずに・・。それでも親友・・大角は6区を走ってくれた・・。 箱根前足が痛く思うように走れなかったにもかかわらず、ぐっとこらえて・・チームのために走った・・。大角が私のキャプテンの仕事まで代わりにやっていた のだ・・。大角は自分のことで精一杯であったのにもかかわらず・・。12月に大角は私にこう話かけた・・。

「困ったときはお互いさまだよ・・。あっくん・・俺もそうだけど四年みんながあっくんがここまで頑張ってきたから・・今の俺たちがあるってみんな口をそろ えて言っているよ・・。俺はあっくんが『苦しいときが一番成長しているとき・・・。』って、あっくんの言葉にすごく助けられたんだ・・。あとあっくんにも らったマラソンシューズ・・。あっくんの足の大きさが一緒だからぴったりなんだ・・。もらったシューズ履いてからから走れるようになったのだから・・。ア ツシの意思を受け継いで走るからしっかり見守っていてくれ!」そのころの私は泣き虫であったので号泣した・・。

しかし、どんな頑張りが想いがあったとしても、結果・・とは冷徹なものだ・・。10区アンカー四年の鈴木陽介(一浪してワセダに入学、故障続きであった が、独自の信念と哲学を貫き、最後も痛み止めの注射を打って箱根に人生をかけた・・。)の区間新の激走があったものの、三十秒差で十位と・・またして も・・シード権を失った・・。あれだけ、気丈に振舞っていた大角も堰を切ったかのように号泣した・・。私は・・キャプテンとして泣くまいと必死に涙をこら えた・・・。

普段何気なく接しているo角コーチ!こんなに凄いランナーだったんですネ!

これを読んでモチベーションupして北海道に行って来ます。

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